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【第六回目:命をかけて神様に期待する】    神様の御手の中で  黒田 摂


二代目クリスチャンの私は、自分の運転で大切な友人の命を落としてしまった後、神を信じることをやめる決断をしました。しかし、神様は私から片時も離れなかったばかりか、「信じないこと」を選択している私のためにイエス様を十字架にかけ、私の罪を赦してくださったのでした。神様の約束を信じて感謝することによって、私はもう一度神様の所に引き戻されました。十字架上のイエス様と劇的な出会いをした私の人生は、ガラリと変わりました。
しかし、私は、泣き叫びながら祈った私の願いと全く反対の現実を主が許されたことに関して、心のどこかで恐れを感じていました。もし自分の人生にもう一度耐えがたい試練がやってきたら、果たして私は信じ続けることが出来るのだろうか?何かが起こったとき、私は、再び神様のことを知らないと言ってしまうのだ、と思いました。そんな弱い自分の信仰の将来に大きな不安を持っていました。一体信じるというのはどういうことなのかが分からないのです。

事故から5年たった夏、私が現在主事として奉仕している日本人クリスチャン・フェローシップ・ネットワークの修養会がありました。メッセージがあり、つまづいたペテロが漁師の職に戻っているところに復活されたイエス様が現れ、もう一度立てなおしてくださるところでした。「ペテロはどうしてここで確信に満ちてキリストに愛すると答えることが出来たのだろうか?もう一度裏切ってしまう心配はなかったのか?」イエス様は、ペテロが殉教するという厳しい預言をされています。そして、「こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:19)」とありますが、私は、イエス様はなんて過酷なことを言うんだろう、と思ったものでした。

このペテロに自分を重ねながらも、確信を持って答えた彼がうらやましくて仕方がありません。ペテロと私の違いは何なんだろう。そう考えていたときに、神様が優しく語ってくれました。その違いは、イエス様にありました。このペテロにお会いになられたのは、既に十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたキリストだったのです!復活のキリスト以上に信仰の土台になるもの、私達の神様との関係の中で土台になるものがあったでしょうか。「私も既に復活のキリストに出会ってる!」そう気付かされた時、私の心の中にあった不安や恐れは締め出されていました。

事故から10年が経ちました。今日も神様が私を導いて下さっていることを確信しています。しかし、弱い者ですから、試練にあうとすぐに逃げたくなります。事故のことを思い出しては、その痛みは続きます。過去に神様が成して下さった素晴らしい御業を忘れて、自分で何とかしてみようとしたり、泣いたり、文句を言ったりします。しかし、どんな時も神様は私を片時も離れず、忍耐と愛をもってその無条件の愛を私に気付かせて下さるのです。私が苦しくて何回倒れたとしても、神様はその度に必ずそこで待っていて下さり、私の心を癒して下さり、そして、神様の所に戻るようにして下さるのです。私は、こんなにリアルで、私のことを愛して下さるイエス様が大好きです。このイエス様の愛を、私のこの不完全な生き様を通して証させてもらいたいと願います。

子供の頃、ジャングルの奥地へ医療宣教師として行きたいと思っていた私は、18年ぶりの日本に宣教師として戻ってきています。これから先、神様がどのように導いて下さるのか、本当に楽しみです。私は、神様が許してくださるこの地上の生活の中で、命をかけて神様に愛されたい、神様に期待したいと願います。だって、私達の信じている神様は、全知全能、無条件の愛のお方、完全無敵の創造主なのですから。イエス様が私の信仰がなくならないように祈ってくださっていますから。聖霊様が私を導いてくださいますから。
「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
第一コリント2:9


† マキキ聖城基督教会