10月下旬
東京は世界でも他に類のない大都市である。
世界中廻ってみれば分かること。
「ああそうなの?」程度の反応が一般的なのは、日本人の多くが自身の姿をよく分かっていないからかもしれない。
さて、我々の旅は最後に東京へたどり着いた。
お客のリクエストで、東京築地の魚市場に行った。早朝始発の地下鉄で5時半には到着した。
丁度、マグロのせりが行われているところだった。
他にも、外国人見学客が多かった。
超忙しい時間帯。
一分一秒を駆け巡る、配達のおじさんたち。
そんな中を、わけ分からない客がカメラ片手にうろうろしている。時にはミニ運搬用車にぶつかる。
現地の働くおじさん方には大の迷惑だろうけど、世界最高の魚市場とあっては、外国人客は見ないわけにいかないのだろう。
それが早朝時差の中でいくら眠くても.......である。
最近この「せり見学」が問題になっているとニュースにも出たようだが、それならそうと、きちんと規制したらよい。市場の公式ホームページでは「ウエルカム」と書いていながら、いざ来て見ると邪険に扱われる。
これは、外国人には理解できない。
一箇所だけ、ロープが張られ見学できるようになった場所があった。
先に見学していた団体が退場してかなりゆったり出来た。
しばらくおとなしく見学していると、またぞろぞろと40名ほどの集団がやってきた。
服装や態度で一見してイスラエル人団体と分かった。
友人と「イスラエル人だね」と小声で話しうなずくと、そのまま沈黙を守った。
しかし、運搬用口に彼らが陣取っているのは、働くおじさんの大の迷惑だったので、イスラエル人ガイドが近くに来たとき「あそこは邪魔だと思う」と言った。
すると彼は大声で「諸君、もっとこっちへ来てくれ!」と叫んだが、みな言うことを聞かない。
バラガン(バラバラ)で、騒いでいて、まとまりがないようでまとまっているようにも見える。
仕方ない。これがイスラエルだ。
このバラガンで、先の見えない行動で、今まで幾多の戦争に耐え抜いてきた。
一筋縄ではいかない。
彼らのガイドは相当疲れるだろう。
15分ほどで彼らは出て行った。静かになった。
一緒にいた友人はイスラエル人だが最後まで他人のフリをしていた。
相当恥ずかしかったようだ。
これで少しは、私がイスラエル人グループのガイドを断ったことを理解してくれただろう。
私も来週末には、このイスラエルへ戻る。
早速、日本人ツアーが始まる。
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10月初頭
家族のような友人夫妻ペチョとギスカと一緒に日本を旅している。彼らはチェコ・スロバキア出身の帰還イスラエル人。ぺチョ60歳の誕生日記念の旅。
まずは広島に滞在した。
最初に宿の近くの広島城に行った。徒歩五分。
やっぱり広島は外国人観光客が多い。
アラブ系の青年がいた。なにじんか気になった。
ユダヤ人は海外へ出ると「敵か味方か」みたいな選別を直感的にしてしまう。私も何度かイスラエル人と一緒に海外を旅して、彼らの感覚が分かるようになった。彼らのこの悲しい直感はこれまでの遠い過去の迫害の歴史のため。
日本人が海外旅行に行って、訪問先でこんなことを感じるだろうか。
瞬時に、敵か味方か見極めるなんて......。
原爆ドームを見て写真に収めた。
平和記念公園を散策した。少女貞子の折鶴の話をした。彼らの子供達と鶴を折ったことがあるので「折り紙」は知っていた。でも、折鶴に平和の願いが入っていることはここで知ったようだ。強制労働していた韓国人や中国人達の塚を見ながら。本当の無差別虐殺とは何かを考えた。
美しい公園の中で、子供達の遠足や修学旅行の学生に出会った。
「ここは日本のヤドバシェムだね」そう話しながら、記念館へ向かった。
記念館の中で、出来事が起こった。
とある欧米系の年配の金髪女性が近寄ってきた。
そこは、地球儀に「核爆弾を持っている国」の印が付いている部屋だった。
彼女は印を見ながら、こちらに聞こえるように「イスラエルはどうなっているの?印が付いていないじゃない」と言った。
私には非常にわざとらしく聞こえた。なぜ「パキスタン」ではないのだろう。なぜ、今問題になっている「イラン」や「北朝鮮」のことは言わないのだろう。
ギスカは無視して遠のいた。私も離れた。
やさしいぺチョは彼女の言い分を黙って最後まで聞いていた。
私は遠くにいたから、なにを話しているのか分からない。
でも、後で聞いたら、彼女は最後にぺチョに「あなたはどこの人ですか?」と聞いてきて、「イスラエルです」と答えたら、とたんに「すいません。大変失礼な話をしました」とか、あやまったそうだ。
わざとらしいと感じたのは私だけだろうか。
彼女はオーストラリア人だったようだ。
こんなことは日常茶飯事だ。
摩擦を受けないため、面倒だから、海外では英語だけで話しているイスラエル人は多い。
ぺチョとギスカは私のために、ヘブル語で普通に会話している。
そして、いつも感じるのは、私が嫌な思いをしないように、彼ら自身嫌気がしても感じないふりをすること。
これから京都へ行く。
あまり政治など感じなくて良い日々を過ごしたいものだ。
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ルツの独り言(バックナンバー)
8月18日
世界中がオリンピックで盛り上がっている中(盛り上がっているのは日本だけではないでしょう)、イスラエルは常にロシアーグルジア紛争問題とイランに注視している。
別にイスラエルからのオリンピック選手が注目されないわけではなく、それ以上にやはりイスラエルは「政情、戦争」に注意が向く国と言うだけの話。
イスラエルは今は表面上は平静だが、近いうちにイランかヒズボラカか何らかの敵国と戦争が起こるだろうと誰もが予想している。
水面下では、戦争勃発にならないよう和平交渉に向けた協議が常になされ、政治的駆け引きが続いている。この張り詰めた糸が切れた時に、戦争が始まる。
日本ではイスラエル選手なんて当然(?)ニュースにはならないのだが、実は結構有力な選手がいた。
中でも、メダルを期待された柔道100キロクラスのゼエブ選手(前大会銅メダリスト)が、メダルへ届かなかったのは残念だった。
女子テニスのシャハル、決勝まで行った体操男子のシャティロフなど帰還ユダヤ人。
セイリングのRS:X級男子は今も競技中。10日から始まっているが、これまで一位、三位を取っている。全大会でメダルを取っているので、期待されている。
決勝まで進む選手もいて、メダルへは届かなくても、東京の半分の人口のイスラエルからこれだけの選手がオリンピックに出れたのはすごい。
金まで届かないのは、残念だが仕方ない。日本のような設備投資も無く、国のバックアップも大して無く、自力でやってここまで来たのだから「コーラ・カボード」(よくやった!)と賞賛に値する。
イスラエル国内では「これらの選手の多くが、他国からの移民です」と移民局の応援コマーシャルが流れている。
ところで、パレスチナからの参加があったのは嬉しい限りだった。
イスラエル国内のTV中継で見た、開会式の入場場面でしか見かけなかったが、彼らはどうなったのだろう?50メートルスイミングプールも持っていない中での練習。それぞれに必要な道具が無くてはスポーツは出来ない。だからあまり道具の要らない、柔道やサッカー、マラソンが貧しい国ではやるわけだ。
パレスチナの子供たちの夏休みは「ハマス・キャンプ」と言うのがあって、毎年小学生向けのテロリスト養成訓練・夏季学校が行われている。地を這い、火の輪を飛び越え、タックルするのだが、それが、陸上ハードル、柔道もしくはレスリングと言ったスポーツへ変わる日がきて欲しいものだ。
例年のごとく今年の北京もイスラエルからテロ対策のノウハウを学んだらしい。イスラエルとしてもミュンヘンオリンピックの二の舞は絶対にあって欲しくないから。
ペレス大統領が開会式へ出席した。安息日なのでと辞退したら、会場の隣のホテルを中国政府がわざわざ準備したらしい。徒歩で出席できた。中国国内でもニュースになった。
中国では、イスラエルとの友好交流は、日本との交流より注目されているようだ。
オルマート首相(戦時中家族が中国にいた)との関連もあるし。
ところで大気汚染はどうなったのだろう?北京の空は綺麗なのだろうか?
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7月中旬
今日の月は、妙に赤っくて満月だった。
砂漠を旅する人々は、こんな月を見れば、不吉に感じるに違いない。
目の錯覚らしいが、民家のすぐ上に出た月は異様に大きかった。
後数時間もすれば、夜空へ上り、小さくなるのだろう。
あと一ヶ月ほどで日本へ一時帰国する。
毎年のことだが、自分がいない間の車や家の事を整理しなくてはならない。
誰か、ニケ月ほど住んでくれる人はいないだろうか?
日本から、夏休みの旅行か何かでエルサレムに来る人はいないだろうか?
住んでいない間のこの家賃の出費は大きい。
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追伸 (7月5日)
スイカがおいしい季節になった。
巨大なスイカを好きなだけ食べる毎日.........。イスラエルのスイカは甘い。
日本のスイカもこんなに甘かっただろうか?味を忘れたのだろうか?
独りで丸ごと買うのは大きすぎるので、いつも半分を買う。
ある日(って今日だけど)、領収書を確認してみた。
3.7キロのスイカ、7.3シケル 250円。し、信じられないほど安い!!!!
これはスーパーで買ったから、たぶん野菜市場ではもっと安いかも。
物心ついた時からスイカ好きだった。
小学生時代の、お友達ノートにも、好きな果物には必ずスイカを書いていた。
真っ赤な、山となっているスイカを食べながら、きっと神様は私の好きなものを知っていて、スイカのおいしい国に送り込んだのだろう、といつも思う
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7月初頭
一通りのツアーが終わった。
夏は、自分の用事をして、秋には休暇に入る。
ツアー(仕事)はあるけど、自分のこともしないと、私はこの地で生活しているのだから。
昨日、友人の息子のオフィサー・コース終了式があった。イスラエルでは、男女全員徴兵制。18歳になるとすべての国民は軍に奉仕する。アラブ人は強制ではないが、志願して徴兵に加わることができる。今回も、ベドウィン出身やドルーズ出身の青年たちがいた。彼らは特殊な能力を持っているので貴重な奉仕をする。
そう言えば前日の晩に遊びに行った家族の娘は軍へは行かず、代わりのボランティアをしたと言っていた。ボランティアも徴兵と同様に扱われる。
いずれも、遊びたい盛りに、規律厳しい、生活リズムの厳しい軍生活は大変だろう。兵役の代わりのボランティアもかなりきついと言っていた。
日本の18-19歳の若者はこの頃どうしているのだろう。
受験勉強か、大学生活か...........。
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6月下旬
友人の結婚式があった。エルサレムの森の野外で可愛らしい結婚式だった。
ツアーの合間だが、自分個人の生活も忘れてはいけない。
冠婚葬祭、誕生日会、体がきつくてもなるべく出る。
ユダヤ人は、タリットの下で結婚する。
タリットは便利。
祈りのときに、羽織る祈祷用のショールだが、すべての宗教儀式で出てくる。
このタリットの内にあるものへ、神の特別な祝福と聖別がある。
割礼の時にも、タリットにくるむ。
男子13歳の成人式には、自分用のタリットをはじめて受け取る。
伝統的な結婚式ではタリットをフパに使い、四隅を友人や兄弟が持ち上げ、その下で誓いを立てる。
今回の結婚式では白い布のフパが作られていた。
イスラエルの国旗も、実はタリットにダビデの星を書いたものが、デザインの元。
聖書の使徒行伝に、
皮なめしシモンの家の屋上で、ペテロは「四隅をつるされた白い布が天から下りてきた」のを見た。
すぐ後の記事では、「私が聖めたものを聖くないなどと言ってはならない」と続く。
文章だけでは、これが何のことなのか、分からないだろう。
ユダヤ人から見ると、これはタリットだっただろうと言われている。
そうすると、意味が通じる。
タリットに入っている物は神が聖別されたものだから。
結婚式に出ると、フパを見ながら、いつもこの記事を思い出す。
今回の新郎新婦は、ユダヤ人だけど、イエスを信じている若者たち。
一般のユダヤ人の結婚式とは、やはり若干違う所があった。
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★★★★ 2008年06月23日更新分 ★★★★
6月中旬
熱い。
暑いのではなくて、熱い。
ティベリアでは37度。路上では41度ほどになるかもしれない。きっと目玉焼きが出来るだろう。
空気が熱く、息を吸うと熱く感じる。
湿度が高く不快感はより高い。
テルアビブやカイザリアも海風があっても、やはり暑いし、湿気がある。
それでも、エルサレムは木陰で20度と快適。乾燥しているので非常に過ごしやすい。
夕方には、心地よい風まで吹いてくる。
ここに住んだら、他へいけなくなる。
アパート代は高いけど.....。
ここ数年の、ドル暴落で、シケルが高くなり、家賃も値上げした。
寝室とキッチン付サロンの二部屋だけのアパートでも、今年は13万円は行きそうだ。
去年の二倍以上。
これは異常としか言いようの無い、物価高。
買ったほうがよっぽどマシと友人たちは言うけれど、なかなか手の届くもので良いのが無い。
あと5百万円ほどあればいいけれど。ローンは好きじゃないし....。
アメリカユダヤ人や、フランスユダヤ人が、高い値段でマンションを買うせい。
買っておいて、本人は2-3年すると他の町へ行ってしまう。
最近、不動産屋も米国系やフランス系ユダヤ人が多くなった。
サブラ(イスラエル生まれの純粋なイスラエル人)の貧しい人々や若者、学生たちは、この町には住めず、他の地区へ引っ越さざるを得ない。
これも、ナタニヤフ政策の一つ。
よくないなぁ。
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6月上旬
89歳の引退牧師が、一般ツアーに入って来た。車椅子だった。生涯の思い出になると喜んでおられた。
出来れば、伝道者生涯の最初に、この聖書の世界を見て欲しい。途中でも良いけど。最後に.....ではなく。
同じグループに、他に3名ほど牧師・伝道師がいた。一般のお客さんと混じって。突っ込んだ話や、神学的な話は出来ない。
少しでもプラスになっただろうか。
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★★★★ 2008年06月09日更新分 ★★★★
6月8日夜
今日はシャブオット。
各種のチーズとワインで乾杯。
おいしいバゲットで、もうおなかいっぱい。
にもかかわらず、山盛りサラダとシュリンプ・パスタ、茄子のラザニアにポテトのローズマリー焼きが出た。
この家庭は宗教家ではないのでシュリンプ(えび)も平気。
だけど、お祭りの食事は伝統として守る。
この辺りの料理加減(どの程度食事規定に合わせるか)は、イスラエル人だからできること。ディアスポラのユダヤ人には分からない。
ましてや、異邦人には別世界の話。幾ら真似してもその真の部分は分からない。
しかも彼ら自身、各家庭の伝統で違うので、一概に「ユダヤ人はこう」とは言えない。
彼らは東欧(チェコやスロバキア、ハンガリー、果てはポーランド)からの帰還者で甘いもの大好き。
食後のデザートまでしっかり食べないと落ち着かない。
適当な時間になったら、歳頃の息子娘たちは次々と夜の街へくりだしていった。
明日は休日だから、友人たちとパブにでも行くのだろう。いつもの安息日と同じ。
おしゃべりに花が咲いて、時計を見たら、もう11時。
楽しく過ごせて、生き返った思い。
さてそろそろ、帰ろう。
帰りの運転は怖かった。そこら中から宗教家が散歩に出てきていたから。
しかも彼らの服装は黒い。
電灯の無い道の真ん中でも平気で散歩している。超危険危険。
お願いだから、光る上着か、反射板の付いた帽子をかぶっていて欲しい。
おそらく彼らはこれからシナゴグへ行くのか?
今晩はシナゴグは一日中人の出入りがある。
有名なラビや楽しいラビのところには人々が集まり。この夜は一晩中、彼らと質疑応答できる。
今晩は、トーラー(律法)を学ぶ夜だから。
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★★★★★ 2008年6月8日更新分 ★★★★★
5月末
日差しが痛くなってきた。夏がやってきた。
二つ続けてカトリックのグループだった。
同じカトリックとはいっても、ツアー全体の雰囲気は神父の考えによって違ってくる。
この二つはそれぞれタイプが違っていた。
最初のグループは、カトリック巡礼の募集物で、日本中からお客さんが集まっていた。
神父は毎日ロザリオの祈り(きっちりやると一時間ぐらいかかる)を唱えたいと言い、マリア様がちしょっちゅう出てくるグループだった。毎日のミサもたっぷり1時間していた。
まあ、これは典型的なカトリック巡礼と言って良いだろう。
後のグループは、三名の神父とその信者さんたちで、何とそれぞれ隠れキリシタンの末裔だった。前年度までは同じ教会教区だったのが、この4月に移動があったらしい。このツアーは信徒さんにとっても、お世話になった神父との最後の記念ツアーになったようだ。
三名の神父は垢抜けていて、とても仲がよく、ホテルへチェックインするなりプールへ直行というように、思いっきり楽しんでいて良かった。
毎日のミサも30分で終わるのには驚いた。
神父たちは皆、祭壇から降りると、シャツにジーンズの私服で、一見普通のツアー客の一員に見える。でもなんとなく風格に「司祭」的なものが漂う。
それは、偉そうとかそういうものではなく、物腰が穏やかで清楚さが漂うようなもの。
友人のイスラエル・ガイドたちと、オフのときにホテル、レストランや土産店などへ入ると「君たちはツアーガイドだろう」と声をかけられる。何気に態度が図々しいか偉そうなのか(?)
これは良くないと反省させられる。
そう言えば、一時期神学校時代に、「牧師らしくない牧師」を目指す神学生が結構いた。
良い意味で「牧師らしくな」く、親しみがあるのは良いが、
悪い意味で「あれが牧師?」などと言われるのは反省せねば。
彼らは、良い方の牧師になった。
今では世界中で立派な牧師として活躍している。
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6月初頭
今度の月曜日は「シャブオット」。日曜の日没から始まる。
日本語で「五旬節祭」
ギリシャ語が有名で「ペンテコステ」という。
もとは、初穂の収穫感謝祭だったが、宗教的意義が付加された。
過越し祭から数えて丁度50日目。
ユダヤ伝承で、出エジプトした民は他民族も吸収しながらシナイ半島へ入り、丁度この日にモーゼがシナイ山頂でトーラー(律法の書)を受け取ったという。
この律法に従う共同体が、イスラエル民族(後にユダヤ人とも言う)となった。
キリスト教では、この日に弟子たちに聖霊が降り、教会という共同体が始まったとする。
なぜか、この日は「ハラビ(乳製品)」でお祭りをする。
肉は食べず、チーズやヨーグルト製品で工夫して晩餐を作る。
宗教家は、一晩中シナゴグ(ユダヤ礼拝堂)でトーラー勉強会をする。
シャブオットの礼拝では、ルツ記が朗読される。
ルツがボアズと出会って、結ばれたのが丁度「刈入れ時期」だったことにちなんでいる。
イエス様はこの日、38年寝たきりだった人を癒された。
神殿からすぐ出たところにある、ベイト・ヘスダという池だった。
英訳は「House of Mercy」
日本語訳では「哀れみの家」という池だった。
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今回のツアー客には色んな人がいた。それは勿論一般のツアーでは、色んな人が来るのだが、宗教的な意味を含んで、色んな人が来た。
無宗教、仏教徒、カトリックの熱心な信者、エホバの証人。
最近疲れるので、このようなばらばらの人たちの一般ツアーをまとめようなんて気にはなれない。添乗員に任せる。
ガイドだけ普通にやって、無事に終わればそれでよくなってしまう。
でも、ゲッセマネの園へ行ったときには(いつもここではグループのために祈る)、やっぱり彼らのために祈りなさいと、感じた。仕方なく教会へ入って祈った。短く。
キリスト教と似ているが、実は全く別の宗教が幾つかある。
1)統一原理
有名なのは、文鮮明が率いる、統一原理。エルサレム近郊のマアレーアドミムに、彼らの出している新聞の特派員が、長年住んでいた。今どこに行ったのか分からないけど。そして、イスラエル伝道には、世界平和婦人連合とか名前を変えていたりする。
2)エホバの証人
ベツレヘムの東のベイトサフル村は、エホバの証人化しているといわれる。
3)モルモン教
モルモン教は、ヘブル大学が建つスコーパス山(展望山)の南の斜面に、非常に大きな神学校を持っている。
いずれも、イエスの十字架による贖いを否定している。
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オリーブ山を歩いて下った。
途中にある主の涙の教会へ寄った。
一人の、ノンクリスチャンの男性が、質問してきた。
「神は何でもできるんでしょ。神がすべてのものを作ったんでしょ。
神はなぜ悪魔を作ったのか。なぜ罪を作ったのか。人間が悪いことをしなくて済むように作ることは出来なかったのか」。
ノン・クリスチャンが、教会の牧師へ反発するためにする典型的な質問がきた。
「なぜ、罪を作ったんでしょうね。分かりませんね。罪なんか無かったら良かったのにと思いますよ。悪魔なんかいないほうが良かったでしょうね」。
分かっている。彼の本当の目的は、質問の答えではない。
悪魔はもとは天使ルシファーだったといわれる。
彼は高慢になり、天国から追放され悪魔になってしまった。これは伝承。
悪魔に関しては本当に良く分からない。
ただ、分かるのは、人間にだけ、善悪を自分で知り、行く道を自分で選ぶことが許されている。人間だけが、本能で生きる動物ではなく、理性を持ち、良心を持ち、自分で悪か善かを選んで進むことが出来るように、自由意志を与えられた。
神は、人間が自らの意思で、神に従う道を選ぶことを望んだ。
人間は、神のロボットではない。
なぜそのように人間を作ったか。
人間を、人類を愛しているから。
アダムとエバの話があるが、エデンの園に「善悪を知る木」を植えたのは神。そんな木、植えていなければこの世に罪が入らなかったのに、と思っていた。子供の頃。
木があるかないかの問題ではない。
神の言葉に、従うか、試すか(疑うか)の問題だった。
まあいい。そこまで説明する必要はない。
ちょっと説明しても、本人はたいして聞いていないから。
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聖墳墓教会では、「ここへ来ている人々は、この日本人グループを除いて、全員クリスチャンです。世界3分の一の人々が、イエスの救いを信じています」。と言ったら、皆驚いていた。
「そうか、イスラエル旅行は巡礼なんだ」とか。
今更のように、感心している人がいる。
逆に、イスラエル人の友人やドライバーたちに日本人ツアー客は、クリスチャンでないことを話すと、
「なぜ、クリスチャンでない人々が、イスラエルに来るのか。何を見たくて来るのか」
とよく質問される。
私にとっても疑問である。
日本人にとってイスラエル旅行は、ただの観光でしかない。
その観光で、イエスの足跡を辿るのは、考えてみれば不思議なことだ。
「イエス自身が、避雷針のように、すべての人の罪を、現在過去未来の罪を負って十字架に架りました。それによって、すべての罪は贖われました。
そして葬られ、三日目に復活しました。これを信じているのがキリスト教です。信じるものはすべて永遠の命を得、天国へ行きます。色々な派がありますが、この中心点だけは、同じです」。
そしていつものように「ここから逸れている教えは、異端と呼ばれます」と付け加えた。
その瞬間、ふっと思い出した。忘れていたが、そういえばここにエホバの証人の人がいたんだ。
気を悪くしたか、心開くか。聖霊によるしかない。
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帰りの空港でのこと。
あの質問してきた男性が突然倒れた。脱水のようだ。
ちょっと休ませ、水を飲ませ、何とかセキュリティをくぐらせ、なんとか送り出した。
「ありがとうございました。楽になりました。大丈夫です」とは言っていたが......。
エホバの証人の女性が、じっと見つめながら、私の手を握ったまま離さなかった。涙ぐんでいるのは分かった。でも、どういう意味なのだろう。
真実を知った喜びなのか、私が可哀想で涙ぐんでいるのか?????
分からない。聞かなかった。天に任せる。
鼻頭を赤くしながら「本当に、ありがとうございました」と言っていた。
正しいキリスト教会の戸をたたくことを祈る。
ほんの一週間の出来事。
彼らの生涯の、数万日の中のほんの一週間の出来事。
5月上旬
こちら、エルサレムは毎日快晴、日中温度20度と、非常に快適な日々。
日本ではゴールデンウィーク。
先週、丁度ホロコースト記念日に、このゴールデンウィーク・グループと共に嘆きの壁へ行った。クリスチャンはいない。
「今日はホロコースト記念日です。10時頃、サイレンが鳴るので、そのときには皆黙祷をします。」と言っておいたのだが......。
嘆きの壁前で、丁度この時間にみんなで集まった。
ウーーーーーーー
あちこちで、サイレンが鳴り始めた.........が、聞こえないのか、気にしていないのか、おしゃべりしているわが日本人客が一人 いた。目立つ。
注意しようかと思ったが、離れているので難しい。
周囲全員直立不動で、グループのメンバーでさえ、直立しているのに。この人には見えないらしい。
し.......しかし。タバコに火をつけ始めた時には、飛んでいった。
「すいません、黙祷中ですので」
彼は、やっと周囲を見渡し、あわててタバコを隠した。
サイレンはかなり長い。一分ほどは鳴っていた。
嘆きの壁での喫煙自体、考え物。
どこでも吸うロシア人でさえ、中国人グループでさえ、この嘆きの壁前では遠慮している。
まあ、このような日本人客が最近多い。
こちらも、りきんだって仕方ないので、少しずつあきらめるようになった。
ちょっと、疲れすぎているときにガイドするほうが良い。怒る気力が無いから。
明日は戦没者記念日。
友人家族と墓参りに行く。
明日の夜には、戦没者記念日が終わり、独立記念日が始まる。
別名「ピコピコの日」
町中、子供たちや若者で賑わい、プラスチックハンマーで頭をつつかれる。
泡スプレーをかけられる。
この夜は、捨てていいようなボロ服を着て出かける。
何をしても、許される日????
でもセキュリティはしっかりしている。
歩行者天国の入口と出口は、セキュリティガードが、一人づつチェックする。
数週間前から、町中、厳戒パトロールしている。
喜びの日でも、締める所は締めている。
学生時代は、この独立記念日が楽しくて、学友らとよくぶらついた。
今は、歳のせいか?仕事で忙しすぎて、休みの日には外へ出ようとは思わない。
昨日、仕事終わったばかりだし。
で、明々後日には始まるし。
今回は、3日ほど空きがあるので休める。嬉しい。
ペサハ(過越祭)が終わった。
いつものように、町が動き出した。
こちらもいつものように、観光客ツアーが始まる。
何だか不思議なように、町中が綺麗になっている気がする。
ペサハに合わせて、大掃除をしたからか?
膨張剤が入ったパン種のことを「ハメツ」と呼び、ペサハ前には、小麦以外でも古いものやハメツと呼ばれるもの皆探し出して、捨てる。初夜前日には、街角で焼いていた。
これは、聖書では「罪」に似せている。
ハメツは「破滅」と覚えればよい。
この時期、家中を点検し、少しでもハメツがあると、忌み嫌うように焼き捨てる。
子供たちはこのペサハ時期、ハメツを見つけると、まるで毒蛇でも見つけたかのように、とんでもない悪いものを見つけたかのように大騒ぎする。
こうして子供たちは、ハメツが忌み嫌われるものであると学ぶ。
同様に、ユダヤ人たちはこの時期、ハメツを探すように、自分自身の罪を点検する。
昔、神殿があった二千年前は、自分の罪のために、子羊を屠った。
イエスは、この同じ時期、十字架にかかった。
さて、さっぱりとした町に、いつもの喧騒が戻ってきた。
エルサレムでは2004年開通予定だった、路上電車の工事が再開。町中に土ぼこりが舞う。
いまだ建国途中と思われるほど多くのマンション、アパート、集合住宅が建設されていく。
ペサハが終わると、町は、独立記念日へ向かう。
今年は、5月8日が独立記念日で、正確に言うとユダヤの太陰暦で7日の日没から始まる。
人々は花火を打ち上げて喜び、バーベキューをする。
その前日5月7日は戦没者記念日、一週間前(5月1日)がホロコースト記念日で、この間に墓参りなどをして、約一週間は喪に服す。
ユダヤ人の国の独立は、ヨーロッパでの迫害、アラブ諸国との戦争は切っても切れないものだから。
重く悲しい、歴史の上に、今の国がある。
まだ、解決しない問題を含みながら。
この時期テロが多くなる。
緊張する日々が始まる。陰では軍隊が治安維持に力を入れる。
4月中旬
嵐の季節が、一段落した。
嵐とは、砂嵐とお客さんの嵐のこと。聖墳墓教会も、生誕教会も超満員だった。
19日、明日の夜から、ユダヤの祭り「ペサハ(過越祭)」が始まる。
ユダヤ人が世界中から集まるため、海外からの巡礼ツアーは減る。
家中から小麦粉を無くすため、日本の大晦日掃除のように、この一週間以上前から人々は掃除をしてきた。
異邦人ではあるが、習慣に従い我が家も掃除する。
何でもかんでも洗濯する。
普段使わない食器も洗う。私はしないが、通常は調理器具を煮沸までする。
蟻が出始める頃なので、大掃除は丁度良い。
冬物と夏物の入れ替えにも丁度良い。
面倒な人は、ペサハ用の調理器具や食器を倉庫から出す。
町中がそわそわして、過越が始まるまでに、すべて終えるように急ぐのは、出エジプトの時、一晩で急いで出立した出来事を髣髴とさせる。
エルサレムのホテルでは、数日前から既にパンが消え、平べったいクラッカーのような「種無しパン」が出ていた。お客さんは「おいしくない」とか文句を言っていたが、この祭りは決してご馳走を存分に食べるような祭りではなく、出エジプトの貧しさを思い起こす祭りなので仕方ない。我慢してもらう。
その代わり、昼食は「ノン・コーシェル」食事規定を守っていないレストランを予約しておいた。おいしいパンも、パスタもある。
同じホテルに宿泊していた、他の日本人グループは、一般のツアーだったので無宗教の人が多く、彼らはどこでもまずはビールを注文していたようだ。しかし、この時期に入るとビールは無くなり、「文句を言っている」....と、添乗員やガイドがこぼしていた。
ビールも麦から出来ているのだから、仕方ない。この時期には消える。
ペサハに、この国を脱出するイスラエル人も多い。
掃除するのが面倒、いずれにしろ国内は混むから、海外でのんびり家族で過ごすという人で空港はにぎわっている。
私???今年は、疲れた。
セデル(過越祭、初夜の晩餐)には友人宅に呼ばれているが、それ以降の一週間は、のんびりと朝から晩まで時間を気にせず、寝てみたい。
3月下旬
暑い。
一昨日、ベエルシェバで38度。エルサレムでも37度だった。真夏の勢い。
何だかこの年は、いやに早く砂嵐が来るし、熱風が襲って、暑苦しい。
ついでに、前回のツアーのお客さんが連れて来た一歳になる坊やが残して行った風邪菌が、私にも入ったらしく、のどに痰が絡む。早く治ってほしいが、赤ん坊の菌は結構しつこそうだ。
お客さんは、「この3月って気候が一番良いときと聞いていましたが?」そうです。通常なら、この3月が一番気候の良い、清々しい爽やかな春風に頬をなでられつつ、真っ青な空を見れるはずの3月です。
でも、やはり異常気象なのか、今年は、ヘルモン山の雪もあまり降らないし、雨季なのに殆ど雨は降らず、ガリラヤ湖の水位は、マイナス3メートル以上が続き、普通ではない砂嵐がかなり続いている。
天気が良いのは、約二週間のうちたった3日ほどで、後は砂嵐に負けている。
日曜日はイースターだったが、丁度このときのグループは全く世俗派で、イースターの「イ」の字も出てこない。
それでも一生懸命、聖墳墓教会では、「イエスの十字架による救いと復活を信じているのがキリスト教です」とはっきり言っておいた。「原始クリスチャンは、復活と永遠の命を信じていたので、迫害され殉教しても怖くなかった」とも。
それでも「そんな非合理な、ありえない事だよなぁ」とか聞こえよがしにつぶやいている。「そうです、世界人口の3分の一の人々が、ありえない復活を信じてしまっているのです。聖書ではこれは聖霊によってのみ信じることが出来ると書いてあります」と、ガイドの権限を大いに活用(乱用?)した。
近年。世俗派日本人がイスラエル旅行に大挙してやってくる。
信者ではないのに、巡礼ルートを辿る。
否が応でも、取りあえず、ガイドの言葉に耳を傾ける。
何でだろう。
怖いもの見たさで、イスラエルへ来るのだろうか......。
質は悪く、昼間から酒は飲むし、どこでもかまわず、タバコを吸うし、捨てる。
人々が「聖地」としている、嘆きの壁(神殿西の壁)や、神殿の丘も例外ではなく、聖墳墓教会を出たとたんに吸い出したのには、あいた口がふさがらなかった。
10年ほど前は、礼儀正しいお客さんばかりで、「イスラエルのツアー客は質が高い」と言われていた時代が懐かしい。
「取りあえず、写真に収めれたら良い」程度の観光で、その場所の歴史背景や、考古学なんて丸で興味が無いらしい。これで25名前後の団体が幾つも続いているのだから、よっぽど日本人は国全体の質が落ちたのではないかと思うほど。
2月中旬から、例年通りのナイジェリア人巡礼ツアーが始まった。ナイジェリアのクリスチャンが、数千人規模で巡礼にやってきている。ナイジェリア政府とイスラエル観光省の共同プロジェクトだ。ロシア人のツアーも毎日休まず、数百人規模で列に並んでいる。
聖墳墓教会の中は、あらゆる人種でごった返している。
どの言語と特定できないほど多くの言語が飛び交う。
いくら世界中を旅行しようと、世界でこのようなあらゆる人種をカバーする「聖地」は他には無いだろう。
全くその気の無い日本人でも、何か、感じてほしいものだ。
3月中旬 (るつのつぶやき)
いやー今年は珍しく早く、砂嵐が来ている。
通常は西の地中海からの風なのだが、季節の変わり目には南東のサウジアラビアから小さな砂ほこりを含んだ風がやってくる。聖書では「熱い東風」と出てくる代物。
去年も確か3月頃に始まった。例年より早く砂嵐が来て、結構続いたので覚えている。
困ったことに、空が真っ茶色になる。
可哀想なのは観光客で、ガリラヤ湖でも対岸が見えない。
ヨルダン渓谷でも、隣国ヨルダンの景色が見えない。
死海では、全く死海と空の区別が付かない。
真っ青で世界一透明度の高い紅海でも、空の色がそのまま海面に映るため、茶色の海になっていた。
私も可哀想。目に入るほこりが、コンタクトレンズとの間に入り、目が開かなくなる。それでもベエルシェバでは、涙を流しつつがんばって聖書を読んだ。時々サングラスをかけてほこりよけにする。
先週は、ドライアイになって。ずっと充血しっぱなしだった。日本から持ち込んでいる点眼薬が離せない。あ、目薬とも言う。ちゃんと「医薬品」のやつで無いと、ただ潤すだけでは充血は治らないと分かった。
砂嵐の日には、部屋に帰ると、まずうがいをし、顔を洗う。時には頭皮もざらざら、耳の中までざらざらのこともある。家はシャッターをぴっちり閉め、窓をしっかり閉めておかないと、とんでもない事になる。
この砂嵐には、アラブの女性のように顔を覆いたくなる。彼女たちが目だけ出したり、時にはその「目」も薄いベールで隠すのは、理にかなっていると思った。イスラム原理主義だからというだけで、このスタイルが決まったのではなく、砂砂漠に生活する知恵から出来たスタイルなのだろう。
それと、らくだのまつげが長いのは、この砂ほこり避けと聞いていたが、アラブ人の顔を良く見ると、らくだのまつげのように、彼らのまつげも長い。やったこと無いけど、マッチ棒を4本は乗せれるだろう。これも、砂嵐避けに役立つ。かといって、今日本で流行の「巨大人口まつげ」を付ける気にはなれない。瞬きが重くなりそうだし.....。取りあえずスカーフとサングラスで防御してみよう。
一昨日、エルサレムでにわか雨が降った。
空の砂ほこりは全部地に落ちた。
そこら中の車が、泥だらけになっていた。
私のトゥリオスも、泥だらけだった。
注・トゥリオスは、中古で買ったダイハツの小さいジープ。いつ分解するかと、ドキドキしながら乗っている。今のところ分解の兆しはうすい。
3月某日
咲きました!見事に、荒野も丘も緑の中に、白や薄ピンクや真っ赤なアネモネたち。岩陰のシクラメン、あたり一面の真黄色の菜の花畑!すごい。
日本なら、提灯つけて、ござが広がるだろうアーモンド満開の山間。
にょきにょき生えてるルピナスの群れ、黄色いマーガレット、よくもまあ、こんなに一気に咲き出たものだ。毎年はこのようにはならない。じわじわ咲いてくる。
でも今年は、一気に、いたるところで咲いている。
ちょっとまて。こうして感動しているのは、私だけ?振り向いてみると、今一緒にいるお客さんは、超ラッキーなシーズンに来たと思うのだが、バスの中では寝ているし、私が一人で「すごいすごい」と言ってても、さほどの反応は無い。
いや、実は彼らも感動しているのかもしれないけど、単に疲れて寝ているのだろう。このグループは高齢者用に作られた「ゆったりツアー」だから。
昨日は、お花畑で写真を撮り、垂訓の丘を散歩した。だから今日はもう、感動するのに疲れてしまったのかもしれない。
いや、もしかすると、バスの中から見えないのかもしれない。
私の目は、大分ベドウィン化している。
遠くの動物が見えるし、ハイスピードで過ぎ去る車からも、道端の花をキャッチできるし。
あ、一番前の座席だからか?これは当然か?
とにかく、玄武岩と同色で、保護色になっている「岩だぬき」を、これまた、ハイスピードで過ぎ去るバスの中から、キャッチできる。しかも、たぬき君の表情まで分かる。(通常、人間に見つかったと感じると、彼らは固まってしまう)。
そういえば、最近らくだ化しているなと感じることがある。
ちょっと水を飲むのを忘れていて、のどが渇いたと思って水を飲む事がある。500ミリリットルのペットボトルの水を、一気飲みしてしまう。通常の日本人はできない。3口以上飲むとトイレに行きたくなるだろう。その前に、とりあえず息継ぎはするだろう。
私の場合。一気に飲みながら空気も吸える。ボトルを真上に上げるのがコツだ。そして、体はちゃんと吸収している。
たいていのイスラエル人もできるが、私も既にらくだになってしまっているのだろう。考えてみると、毎日4リットルは水を飲んでいる。
命の水のありがたさを感じる今日この頃です。RUTH
2月中旬の某日
雪が降った。ヘルモン山やガリラヤ地方は勿論、エルサレムも真っ白。果ては、ネゲブ砂漠まで雪が降った。その数日後、赤いアネモネのつぼみが、あちこちに顔を出していた。来週あたり、お天気になればきっと花開くだろう。不思議だけど、暖冬ではアネモネは出てこない。ある程度の寒さが必要で、でもちゃんと太陽のあったかさも必要。何だか日本の桜に似ている。桜も冬の寒い時期がないと、きれいな花は咲かないそうだ。
今、荒れ野はうっすらと緑のじゅうたんを敷き詰めたように美しい。所々に可憐な花が咲いているのも、何も無い場所に命を発見したようで、その美しさに心打たれる。
谷間の岩の段々テラスにアーモンドの花が咲いている。一見桜のように見える。前年の実が真っ黒になってまだ幹に付きっぱなし。誰も収穫する人がいなかったようだ。
アーモンドは、預言者の花と呼ばれ、エレミヤ書では「アメンドウ」と記されている訳本がある。きっと訳者がアーモンドの文字をどう訳してよいか分からず、そのまま読んだようだ。アーモンドが桜の木に似ていると知っていたら、もしかしたら、日本語聖書に「桜」と記したかもしれない。アロンの杖も「桜の木」だったりしたら、ちょっと雰囲気変わる。いやに日本くさくなる。やっぱり「アメンドウ」で良かったんだ。などど納得
した。
これからイスラエルは、一年で一番美しい季節を迎える。ルツ
2月某日
イスラエルへ帰国した。
渡航途中で既にイスラエルを感じていた。
まずは、乗換途中のパリ空港で、搭乗アナウンスがかかると同時に、あちこちから人が「集まる」。列に並ぶわけではない。向かいのニューヨーク行きには、きちんと一列に人々が並んでいるのだが、こちら、イスラエル行きには、列など無く、搭乗ゲートに人が群がっているだけ。
仕方ないので、手近なイスラエル人家族の後についた。これが一番確実に搭乗ゲートへ到達できる道だ。私の後には、フランス人やインド人など外国人らしい人々が続き、一応列になった。それでも脇から入り込もうとするイスラエル人が多く、列と呼べるようなものではない。
やっとの思いで、搭乗機に入り、最後尾に近い指定の座席へ着く。が、コンパートメントには手荷物を入れる隙がなくなっていた。常にイスラエル人旅行者は引越しするのかと思われるほど荷物が多く、受託荷物のほか、機内持ち込み荷物がやたら多いのである。5メートルほど前方にようやっと隙間を見つけ詰め込んだ。
隣にイスラエル人たちがやってきた。指定ではないのに、友人の隣に座りたいからと、勝手に窓際へ座るイスラエル人。後に、この指定座席の本人がやってくると「僕は友人の隣に座りたいのさ。君さえよければ僕の座席をあげるよ」といって指差したのは、後方の中間の座席。
かわいそうなフランス人犠牲者は、力で負け、しぶしぶ空いている席へ移動した。
機内食が出始めるとまた、一問答。この私の隣人たちはコーシェル(食事規定)の特別メニューを注文していたらしい。アテンド(スチュワーデスと呼んではいけなくなった)は、記録されている用紙を確かめながら、勝手に座席を移動してバラガン(めちゃくちゃ....のへブル語)になった座席と食事リクエストをにらめっこしていた。
これが一人二人ならましだが、この機中の一割近くがコーシェルである。食事指定をしていたなら、座席も指定座席に座っていてほしいものだ。
昔、KLMのあるアテンドが、「イスラエルフライトはいつも問題だ」といってため息をついていたのを思い出す。
隣人は食前食後に、祈祷書を出して読んでいた。
感謝の祈りは良いが、他人の席を略奪したことに良心の痛みは無いのだろうか。無いらしい。
このような、渡航中の出来事は特別なことではなく、私がこの15年間の往復で、毎回普通にあること。
またも、この国に帰ってきた。
私がここに住んでいるのは、間違ってもこの民族が好きだからというわけではない。
ここが、聖書の国だから。
まかりなりにもこの民も、聖書の民だから。それだけ。
二月某日 その2
イスラエルへ戻ってきた。
突き抜けるような青い空は、夏季ならまだしも、この時期には似合わない。
今は雨季のはずだ。
ここ数年旱魃でガリラや湖の水位は下がっている。
観光客には悪いが、雨は沢山降ってくれないと困る。
今は旅行シーズンで、観光客が絶えない。
毎週旅行代理店から、ガイドリクエストのメールが舞い込み、留守録も仕事のことばかり。
申し訳ないが、半年先まで埋め尽くし、隙は無い。
二年先まで決まっているものも多い。
観光できるということは、今は落ち着いているということなので感謝だ。
金曜日没のサイレンが鳴った。
これから安息日に入る。
そうだ、ここはエルサレムなんだと改めて感じる。
安息日。宗教家は交通ルールを破る。
大交差点でも、赤信号で道を渡るので、危険極まりない。
横断歩道を歩いてくれるのはまだましで、どこからともなく出てくることもある。危険。
彼らに言わせると、仕事してはいけない安息日に、信号の電気が灯っているのが悪い。車を運転するほうが悪い。だから、交通ルールも破ってよい。
でも聖書の安息日規定には従うよう努力する。
時として、彼らの思考回路が分からなくなるときがある。
彼らは、安息日にスイッチを付けたり消したりできない。その代わりに、異邦人に何気なく「暑いなー」とか言って、クーラーを入れてもらうことはある。「クーラーのスイッチを入れて」とは頼まない。ただ「暑い」と言うだけ。
それとか、間違って電気を消してしまっていたら「暗いなー」とかって言うだけ。「暗いから電気をつけてください」とは言わない。
スイッチを入れる依頼も駄目らしい。
付けるのは、あくまでもその本人の意思で.....ということらしい。
いやー、おかし(interesting)な、奇妙なところです。 つづく RUTH