● もどる  † マキキ聖城キリスト教会プレゼンツ「ルツのひとりごと」
イスラエル政府観光省公認ガイド 柿内ルツ

●東京聖書学院卒業、エルサレムのホーリーランド大学神学修士終了、イスラエル政府観光省公認ガイド。
●イスラエルにおいて、日本語で聖書地理・考古学・自然界など、聖書の世界を学べる学校を造るのが夢!
イスラエル在住
●マキキ聖城キリスト教会では、そのようなビジョンをもったルツさんにホーリーランドの生情報として「ひとりごと」を提供していただいています。状況が浮かび上がってくるようなルツさんの「ひとりごと」をお楽しみ下さい。感謝
△管理人おすすめサイト イスラエルブロードキャスティングオーソリティ(イスラエルの情報が映像で見れます)

9月初頭
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涼しい!なんと爽やかな風!
夜はクーラー無しで、しかも窓を開けることなく眠れる幸せ。
汗が流れ落ちることも無く、あせもの心配なく。
かえって顔に保湿クリームを塗り、乾燥に気をつけなくてはいけないほど。

8月末イスラエルへちょっとだけ戻った。
マキキの特別な(?)ツアーのために二週間だけイスラエルへ戻った。
あの、日本の夏が嘘のよう。
いったいあの湿度はどこから来るのか?
あ、そう言えば日本は海に囲まれた国なんだった。

さて、これからマキキのツアーが始まる。
手配会社は米国のクリスチャンがよく使う会社。
でも、日本人はあまり扱っていない会社。さてさて.......。

団長の黒田先生には幼少期から大変お世話になっている。岸和田時代からの(......って言っても分からないですよね?)お付き合い。
康子先生(.....と呼ぶのは私の癖......?)と一緒に、イスラエルまわりたかったし。
お客様も楽しいマキキファミリーだし.......。

このマキキツアーは、今回のイスラエルツアーの後、オーバーアマガウ受難劇を見に行く。
うらやましいなぁ。まあ、いいや。自分は6月に行っておいたから。

昨日、家族同様にしている友人(イスラエル人)が遊びに来た。
私がいない間の、家と車の世話をお願いしている。
米国のクリスチャングループ専門にガイド暦40年という大ベテラン。

去年から私がオーバーアマガウの話を散々したためか、「今年こそは自分も行こうと思う」とのこと。
息子を連れて行くそうだ。
奥さんは反対らしい。
まあ、仕方ない。
ユダヤ人でこれを見に行きたいと言ってくれる人は珍しい。

本人は口に出して「イエスは主なり」とは言わずとも、
イエス様へ対する畏敬の念をかなり持っていることは伺える。
是非、行ってほしい。

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8月 おもいっきり暑中見舞い申し上げます!


暑い!!! この暑さは地球規模らしい。
ガリラヤでは42度、エイラットでは46度、標高750メートルのエルサレムでさえ37度と異常さを増している。
日本でも38度越えの猛暑となって、多くの方々が熱中症で亡くなっている。
イスラエルと日本と違うのは、湿度だけれど、一定以上暑くなってしまうとそんなことも言ってられない。ただひたすら暑い。

昔の人は賢かった。
地中深く穴を掘り、涼しい土の中に住んだ。
もしかして、我々も地球温暖化を防ぐためには、土の中に住むのが良いのか?

そういえば、東京の地下は網の目のように大きなトンネルが張り巡らされて、地下鉄や地下道、地下ショッピングモールなどができている。
そのうち、地上は一階建てで、地下三階なんていう、超エコ物件が出てきてもよさそうなもんだ。


8月上旬

とある国際カンファレンスの手伝いをした。
海外からの多国籍来賓の日本滞在中の世話だ。

都内に約一週間、その後、横浜広島日光といろいろ回った。
一緒にいると、はっきりと国民性が出た。

集合時間15分前には来ているのがドイツ組5名。
集合時間になっても集まらず、必ず遅れてくるのスイス組4名とがロシア組4名だった。
その中間はいろいろ。

例えば、ホテルから新幹線駅への移動(通常約5分)だけでも明暗は分かれた。
ちなみに、この人々はすべて、教諭、大学教授、博士、施設長などのはずだが........

ドイツ組は常にトップ。案内役の私の前をさえ行く。
それに、引きずられるようにして、必死についてゆくのがオランダ代表。
米国組は必死に歩くのだが、太っていて足が悪くペースについてゆけない。
ロシア組は皆に交じっていて、それなりについてきているようだが、肝心なところで次々と大きな問題を起こし、詳細は言えないが一番手間のかかる相手だった。

あきらめたかのように、間隔を開け、マイペースを崩さないのがイスラエル組9名。間隔が開くと、前を歩いている人々が「走っているからだ」と怒り出す。そうではなく実は彼らは、途中の店に入ったり、途中にあるスタバでコーヒーを頼んでいたりと、考えられない行動をする。言い訳するのではなく、逆切れのタイプ。

意外だったのが、スイス家族4名。いつも一番遅れ、しかもさらに忘れ物をして取りに行く。スイスは時計を作っているのではないのか!と怒鳴りたくなる場面もしばし。おそらく彼らはスイス人ではないのかもしれない....?!

論外はパレスチナ。グループの一員であることを全く意識していなかった.......。いや意識はしていても、自分なりの言い訳があって遅い。あまりにも遅く、時々迷子になるので、専属ボランティアを付けマークするありさま。

時間をきちんと守る人々は、他のグループと一緒にされたくないのだろうか、新幹線座席も「うるさい人々とは距離を置いた席にしてくれ」と言っていた。

でもまあ全部で30名近い客は、なんやかんや言いつつ楽しんで帰って行った。
次々と、楽しんでいたツアーのメール報告が入る。
それが一番の、疲労回復のエキスとなる。 

どんなに頼まれたって、もう二度とこんな多国籍の手配と世話するもんか!今回だって何度断ったことか.......。

................といつも思っている..............が、どこからともなく依頼が入る。


7月初頭

ドイツのオーバーアマガウという田舎の小さな村で行われる受難劇を見に行った。
この祭りは10年に一度しかない世界的にも有名な祭りで、生涯で最初で最後になるだろうということで、両親を招待した。

2000年開催時には反ユダヤ的なものを排除しようということで、台本が大きく書き換えられた。
今年2010年も同様と聞いていたので、前回の台本の日本語訳を入手し、読んでおいてから観たが、前回のものよりだいぶ変わっていたようだ。



神殿で、シェマーイスラエルが始まったときには驚いた。
祈りの際に、タリット(祈祷用ショール)を頭からかぶり、
パンを祝福し裂いたり、葡萄酒を祝福するのにも、へブル語の祝祷そのままだった。
ちょっと、ドイツ訛りだったが
「バルーフ、アッターアドナイ........」と始まった時には一緒に唱和した。
重要な祈祷部分が、すべてへブル語で上演されたのには感動。 
私はドイツ語はよくわからないが、へブル語はわかる。

この受難劇にかなりユダヤ的要素が入っていると感じたのは、私だけか?
第二次大戦前には、ヒトラーにこの受難劇が利用されたことを踏まえての反省から来る、演出修正かもしれない。
村人たちの、聖書に忠実であろうとする心が伝わってくる、今回の上演だった。

上演の様子は撮影はされず、DVDも売らない。
音楽のみCDで売られているものの、劇全体ではない。
彼らにとっては祈りを込めて、主にささげる劇だから........とは村人のことば。

今回の旅行は個人で、直接元締めの市役所に申込み、どこの宿になるか、席なども市役所にお任せだったが、
劇場から徒歩3分のかわいらしい外観のアルテポストに宿泊、オーナーは大祭司カヤパ役。歴史のある宿らしい。

座席も前から6番目ほどの席で、役者の表情までよく見えた。↑

素晴らしい合唱団とオーケストラ、舞台芸術もよく思考が凝らされていた。 
特に、ポンテオ・ピラト役は、完全に映画などで活躍しているプロの役者ではないかと思った。

客席は満席御礼状態だったが、日本人のみならず、アジア人グループには会わなかった........。






6月上旬

日本に帰った。
帰って実家近くの評判の良い胃腸病院で、残りの(?)の盲腸切除してもらった。
医師も看護士も、清掃のおばちゃんまでみな非常に丁寧で親切、言葉かけにも指導が行き届いていて、ここまで違うかと驚いた。
しかも、一緒の病室の方々は、皆さん癌患者ばかりで、盲腸なんぞで入院している私がちょっと申し訳なく感じた。

ただ、体の不調や痛みというものは本人しかわからず、分かってもらうためには、意思表示が必要と感じた。
これは世界共通のものらしい。いや人類共通か。

この入院中、関西の友人から届いた新刊の一冊を、ベット上で涙にむせびながら読んだ。
とある伝道師の奥様が、去年、がん発見後2ヶ月ちょっとで召された。若かった。
私が涙したのは、亡くなられて悲しくて泣いたのではない。その夫婦とお子さん達の闘病生活と看病の中での信仰の証に強く感銘を受けたから。
しかもこの本は、闘病中、報告のためにブログを書いていたその日記が本になったもの。
赤裸々な日々の葛藤、まさしく闘病の様子が私を引き込んでいった。
そんなこんな状況を、たまに検温などで来る看護婦に、見られて、勘違いされたのではないかと恥ずかしい思いをした。

退院後の日曜礼拝でのメッセージは柄にもなく
「人生の勝利者」という
なんだか非常に大それた題をつけてしまった。



5月中旬
 
ボルケーノがやってきた。
アイスランドでの火山噴火灰が、こんな遠くのイスラエルまでやってきた。
.......と運輸省が大騒ぎしている。
 
真っ白けで何も見えない。
昨日の夜のニュースでは、空港はいつもどおりで、飛行機は飛んでいるらしい。
自然の力はすごいね。
こういうのを見ると、人間は無力だなぁって、なんで地上で騒いでるんだろうって思う。
人間は、上におられる方を、いつも意識しないとね..........。過ちに陥る。
 












写真は、この時期の毎年のハムシーン(低層に茶色の帯)と、<=

今回の火山灰雲(真っ白!!)との違いです。=>

4月19日 戦没者追悼日

イスラエルは、独立記念日の一週間前に、ホロコースト記念日がある。独立記念日の前日は戦没者記念日になっている。いずれの日も追悼のサイレンが鳴って、皆立ち上がって黙祷をささげる。
今日は退院後の診察の為、病院にいた。丁度診察も終わり、カフェのレジにいた時にサイレンが鳴った。
皆、立ち止まって、カフェに座っていた人たちも、皆立ち上がって、黙祷をささげた。

でも、この時、立ち止まらない人種が二つある。
アラブ人と、ユダヤ教超正統派。

最近は、アラブ人も黙祷はしなくても、取りあえず動きを止めるようになった。
アラブ人も兵役に行くようになって、犠牲になった人もいるから。
でも、黒装束のユダヤ教宗教家は動きまわっていた。

4月20日 独立記念日   

毎年独立記念日は快晴。熱い太陽が照りつける。この日に雨が降った記憶はこの十数年間無い。
そして、人々は屋外でバーベキューをする。
町中国旗だらけ、そして、けむたい。
そのけむっている私も、友人宅の庭でバーベキューパーティーだ。

「日本はどのように独立記念日を祝うの?」唐突に聞かれた。
「うーーーん」答えようがない。イスラエルのとは似ても似つかないから。
「日本にも独立記念日はあるの?」
ル「独立記念と言うわけではないけど......」建国記念日をどのように説明したら良いのだろう?
「あまり国旗立てたりしないけどね」って答えるのが精一杯。
あまりにも、イスラエルの独立の概念と違うから。

「日本って国、いつから始まったの?その前は誰が支配していたの?」
皆イスラエル人ばかり、20人ばかしが集まっていたもんだから、次々と質問攻め。
考えてみると、日本は不思議な国。
そういえば、他国に支配されていた記憶がない。

二千年間、国が無く、やっと独立しても、この65年間幾度もの戦争で危機を辿り、
今も必死に「国の存在を自分達で守る」ようなイスラエルに比べたら、日本は本当に不思議な、幸せな国。

今の日本で、誰も「日本の国が無くなる」なんて、考える人はいないだろう。
考えないから、日本国籍の無い人にも「選挙権を与える」なんて発想が出てくるのだろう。

イスラエルはずーーと崖っぷちを歩いてきた。
一歩踏み外せば、国が無くなる。
その危機感と、ホロコーストのトラウマが、ここの軍事を支えている。

バーベキューじゃないけれど、最近きな臭いにおいがしてきている。
いつもヒズボラがミサイルを飛ばすのは、夏の暑い時。頭が熱くなってるのか???
イランの様子も心配だし。
ガザもせっせと武器集めしているし。

どうか、静かに平和に、この夏、時が過ぎますように。


4月上旬
世界で初めて「クリスチャン」と言う言葉が、イエスを信じる共同体に対して使われ始めたアンテオケへ行った。
聖ペテロ洞窟では、韓国のカトリックのグループがミサをしていた。
セレウシア港跡かといわれる砂浜で、ここからキプロス島へ旅立ったパウロを想い、ここからローマへ旅立ったペテロを偲んだ。
「こんな遠くまで来るグループは、クリスチャングループぐらいですよ」と言っていたのだが、まさしくこんなド田舎へは、クリスチャンしか来ないだろう。トルコ人ガイドもドライバーも初めて来たらしく、思いっきり道に迷っていた。
パウロが生まれ育ったタルソ訪問の後、初代クリスチャンが、地下都市を作って隠れ住んでいた、カパドキアへ行った。
カパドキアはその奇岩からUNESCO世界遺産としては有名だが、まさかイスラム教徒から逃れたクリスチャン都市だったとは、あまりトルコ人ガイドたちは強調しない。フレスコ画やイコンを破壊し、顔部分を削消していったのがイスラム教徒だとは誰も言わない。「イコン破壊主義の台頭で」と言う表現を使う。
 
デリンクユという小さな村には、外見からは想像も出来ない、大きな教会地下都市がある。
朝一番に、吐息の白い、まだバザールさえ開いていない時間に、その洞窟へ入った。
一番奥の方に、十字架形の地下洞窟がある。初期にはローマ帝国の迫害下で、ビザンチン後期にはイスラム勢力からの迫害下で、多くのキリスト者が隠れ住み、信仰を守り続けた。ここがガラテヤ地方。
この洞窟で、讃美しガラテヤ書2章19と20節を読んだ。photo@rutu
牧師がお祈りしている途中で、「ホードゥ、アドナイ、キートーブ」とへブル語の讃美が聞こえてきた。さっき入ってきたヨーロッパのグループだ。
祈りが終わったとたん、一緒に彼らの讃美に混じった。
「キーレオラン、ハスドゥ」
向こうも驚いたらしく、一緒に讃美した。
 
「あなたたちはユダヤ人か?」と聞くと、「イスラエルを愛している、ベルギー人だ」との返事。
まさか、こんなところで、へブル語の讃美を聞くとは思わなかった。
そうだ、ここに隠れ住んだ一番初めのクリスチャンはへブル語だったんだ。
瞬間に、二千年前へタイムスリップしたようだった。
しかもへブル語の讃美が、世界をつないだよう。
 
一連の出来事をあっけに取られて見ていた我がグループ。
「鳥肌が立った」とか言っていた。
photo@rutu

4月1日 エイプリルフール

photo@rutu
もうすぐ、トルコツアーが始まる。その前、少し早めにイースタンブール入りした。
体調も整えたいし.....?

丁度イースター休暇と重なって、非常に多くの旅行客がスペインやイタリアなどのヨーロッパから流入している。
しかも、イランの新年休暇ということで、イランからも流入しているらしい。でもテレビに見るような、黒いベール(覆い)を付けたイスラム原理女性は見かけないなぁ。

ビザンチン帝国の首都だった、コンスタンチノープルは、今はイースタンブールとなってその面影すら残らない。
唯一、モスク化したアヤソフィアだけが、ここはコンスタンチノープルだったぞと主張している。

以前よりも、トルコの経済は好転しているように感じる。
新しい観光エリヤができ、オスマン・トルコ風プチホテルも増えた。
旧市街付近は、非常に平和的で綺麗になり、怪しい物売りの姿も少なくなった。

でも、相変わらず片言日本語の、客引きはいる。
やっぱりこれは怪しいので、無視し続けた。
別に悪い人では無いかもしれないけど、あまり相手にならない方が良いだろう。



3月30日過越祭

昨晩はレイル・セデルだった。過越しの晩餐。
西洋生ワサビをすりおろした物と、薄いクラッカーのようなマッツァ(種なしパン)を食べる。苦い奴隷生活を思い出すため。
日干し煉瓦を造っていた日々を思い起こすためには、ナツメヤシの実とナッツで作った甘いペーストをマッツァに塗って食べる。
セロリを食べたり、卵を食べたり、すべてに意味がある。
儀式の食事の合間に、ブドウ酒を四杯祝福して、飲む。
御馳走が並ぶ頃には、お腹が膨らんでしまっている。

毎年、毎年、幼い頃から同じように、セデルの本を朗読し、歌を歌い、意味が分からずとも、言葉を覚えていく。
三千年以上昔の出来事でも、つい先日のように覚えておく。
これが、ユダヤ民族を二千年間守ってきたアイデンティティ形成の重要な一夜。
異邦人と、イスラエル人を分ける夜。

「ゴイーム」(異邦人)という言葉を聞くたび。
私はここにいて良いのだろうかと複雑な思いで考えつつ、この家庭が迎えてくださっているのに感謝する。



3月18日緊急入院!
いやー3月初頭から始まった腹痛が、頂点に「達し終え」ていたようで、病院に駆け込んだら、「盲腸破裂」だった。
 
腹痛が始まった一週間目には、仕事途中だったけど、夕方ティベリアのホテルへチェックインしてから、ちゃんとポリア病院に行って血液、尿、婦人科、Xレントゲン検査もしたのに、その時は何も見つからずに帰された。ツアー途中だったので途中でドロップアウトできず、しかもこんな時に限って、14日間のロングツアーだった。
今まで健康で、このような腹痛なんかなった事がなかったので、どこまで我慢したら良いのか、分からなかった。
我慢はしない方が良いようだ。
 
エルサレムのシャアレーツェデク病院は評判の良い病院で、緊急治療室の医師は、すぐに盲腸破裂を見つけ、お腹に管を通し膿を出した。同時に抗生剤投与。私はすっかり病人になった数日間だった。無事一週間で退院できたけど、この間、イスラエルの病院の実情を垣間見、患者の人間模様や、イスラエリー丸出しの社会を体験し、多くを学んだ。
 
暇だったので、病院で生き残るためのサバイバル条項を挙げてみた:
 
その一 点滴速度チェック
数種類の抗生剤投与があるのだが、看護婦は早く仕事を終えたいため(?)、点滴の速度が速い。早すぎて糸状になっていた。
看護婦の目を盗んで、自分の体に合った速度に自分で落とす。これが分からないうちは、点滴と同時に吐いていた。
 
その二 看護方法チェック
注射も点滴の名前も、医師にきちんと聞く。もしくは看護師がする事をよく見ておく。点滴の回数や投与の時間など。時々忘れる。
 
その三 終了チェック
点滴が終わっても、よく取り忘れがある。一時間以上しても来ない場合は、自ら看護師へ出向き、取ってもらう。
 
その四 注入チェック
時々、腕から点滴の管が抜ける。看護師によると大体2-3日で古くなり抜けるそうだ。こんなのありか?と疑問を持ちつつも、別な場所に打ち直してもらう。
 
その五 検査予約
このイスラエルでは、病院に限った事ではないのだが、「午前中に検査する」と言われても、ただ待っていてはいけない。正午すぎる頃から「おかしい!予約はどうなっているのだ!」と自分で騒がないと、物事は動かない。
 
その六 睡眠
イスラエリーの「雑音」に悩んだら、綿玉をもらって耳栓にする。少しは役に立つ。
 
その七 争奪戦
シャワールームの早奪戦に勝つ!排水溝の流れが悪いので、早く入らないと、自分が洪水を起こすことになる。
 
その八 期待はしない
同室は往々にして最悪。ここは病院だし、イスラエリーのフツパ(我儘)な悪い部分しか出ないだろうとあきらめる事。
少しでも「良くあってほしい」などと期待しない方が良い。
例え、テレビのボリュームが大きくても、携帯電話の会話が大きくても.......。ここは病院だと言う事は忘れているのかもしれない。いや、忘れようとしているのかもしれないと、良い方に転嫁出来ればよい。
 
そして、新しいへブル語を幾つか覚えた。
ムグラ.....モグラ?   膿の事。
ニクーズ......は抜けーず? 膿を出すためお腹に通したパイプ(管)。ヌクズともいう。
 

3月上旬


ここ5年ほど、毎年2月末から3月末にかけて、一ヶ月ほど南東のアラビア半島から砂嵐が来る。
せっかくのお花も、これでいっぺんに黒く焼き枯れてしまう。

なのに、多くの旅行代理店は、この時期のイスラエルが一年で一番お花のある良い時だといって、大挙してやって来る。
ここ10年は、温暖化の影響をもろに受けて、イスラエルの花は1-2月です!!
と、ガイドしながら叫んでいるけど、日本には届かないよう。

しかも、今やっているグループの名前は「イスラエル花物語」だそうで、無い花を探すのに一苦労している。
まあ、一週間前の大洪水のおかげで、荒野に咲く珍しいお花を見れたので良かったけど........。

とにかく、お客様には良い景色を見て、楽しんでいただきたい。
この砂嵐、どっかに飛んでいってくれないかなーーーーー。
もしくは雨でも降って、泥が地に落ちてしまうと良いのだけれど...........。


2月下旬
2月26日
 
死海沿岸は大洪水
全部で5箇所ほど、道路に洪水が流れ出ていた。
途中何度か軍隊や警察に止められながら、やっとの思いで南死海のエインボケックのホテルへたどり着いた。
 
エルサレムの線路工事に10年以上かけるなら、死海沿岸90号線は毎年洪水被害があるんだから、こっちに橋を作ってほしい。
ワジに流れる水を見るのは、圧巻だけど、道路閉鎖は困る。
 
今日のお客様は動けないので、死海ホテルで一日フリータイムということになった。

2月中旬

携帯で撮ったガリラヤ湖の夜明け
皆様へおすそわけ

舟も出ていて、すごーーーく綺麗だったので写真撮りたかったけど、携帯しかなかった。

でも十分取れたかな?

今、イスラエルはどこもかしこもツアー客でピークを迎えている
平和なしるし
.。


2月初頭

今年は例年より花の開花が二か月程早い。
アーモンドは1月に満開になり、アネモネも1月に咲き始めた。

ネゲブ砂漠には大雨が降り、ワジ(水枯川)に濁流が流れ、一部通行止めになった国道もあった。
砂漠で見る雨は不思議なもの。
渇ききった台地が、水をどんどん吸い込んでいくように感じる。
今回のグループは、死海二泊だけど、死海は寒かったし、おじさま方はあまり死海浮遊を好まず、バイオ動物園に行きたいとか、植物園に行きたいとか言っていたので、オプショナルで半日のジープツアーに出かけた。
ほんの少しの降雨量(7ミリ)なのに、ワジに濁流が流れ出し、緑が芽を出し、ロッテムの花が満開になっていた。イスラエル人の間では荒野に咲くので有名な花。日本語ではエニシダとか訳されている。真っ白の花で荒野に多く咲いていて、自分の娘にこの名前を付けるイスラエル人は多いい。特に「荒野のジープ乗り」に多い。
ジープガイドがちょっと探して転がした岩の下には、やっぱりサソリがいた。しかも少し透明の危ない方のサソリ。(クロのサソリの毒はそれほど強くない)。
おじさま方は思いっきり本当の野生の自然に出会えたと大喜びしていた。

そして、今頃大雪がヘルモン山に降っている。
降りすぎてゴラン高原の地雷区域危険の看板が分からず、雪投げしていて誤って入ってしまい、片足切除という大けがをした少年がいた。いつも冗談でバスの中から「この看板のある鉄条網の中は、地雷があるので注意しましょう。バスが間違ってはいらないようにお祈りしましょう」などと言っていたのだが、本当に地雷があったんだ......。

雪解け水が溢れ、大岩の裾から湧水が吹き出しはじめた。
ガリラヤ湖はこの冬、約一メートル水位が上昇した。
でもまだ、4.5メートル足りない。
もう一雨降らないとね。

2月初頭
 
構雨が続いた。先週の安息日(土曜日)は、沢山のイスラエル人がガリラヤ湖に遊びに来ていた。日本の紅葉客のように、ヨルダン川のアリック橋のたもとに、50台ぐらい車が止まり、あっちにもこっちにも人がうろうろ歩いていて、何があるのかとうちのお客さんも興味津々だった。「あ、これはヨルダン川に人が集まっているんです。ほら」と言っている間に、ヨルダン川の上に来た。でも川幅は4-5メートル。「えっ!これでこんなに人々が集まるんですか??」そうなのです。
イスラエルにとっては一年中枯れない川は珍しく、ヨルダン川は非常に重要な大きな川なのです。それがたった5メートルの幅でも!
 
イスラエル人たちは、ガリラヤ湖の水位が非常に気になる。毎日のように夜のニュースに見入って、ガリラヤ湖の水位がどのくらいになったかと目を凝らす。
でも、こう言う時に限って、水道局のガリラヤ湖の水位を調べる係の人々はストライキをする。まったく、これがイスラエル人だ。笑うしかない。
今日、やっと彼らは仕事に戻った。
そして今日のニュースで、今年の雨季に入ってから、ガリラヤ湖の水位が96センチ増えたとの報告。すごい!
でも、まだ4.5メートル少ない。
 
イスラエル人らが、必死にガリラヤ湖の水位が増えるのを願うのも無理はない。去年から一人当たりの使用限度水量が決まり、それ以上だと罰金が科せられることになったから。もっと早くこうすべきだっただろうけど。
 
私がイスラエルに来た17年前は、海岸のプロムナードや、桟橋に水がかかるほどだった。
まだ雨季は続く。これからももっともっと雨が降って、水位が増えてほしいもんだ。
でも、観光中は止んでほしい。
一番良いのは夜中に思いっきり降って、朝に晴れる事。
こんな勝手な事ばかり祈ってちゃだめだね。
でも、やっぱり、一生に一度の思いで来るお客様には、がっかりさせたくない。
多分、天の神様も同じジレンマかもしれない。
 
こう騒いでいるときに、お客さまからの電話「おふろの栓が無いんですが......」。そうだ。日本人には水不足など無縁の事。
海外でもやっぱりお風呂に入りたいのだ。
それがたとえ水のない国であっても.......。

1月末
 
今年はお花の開花時期が、いつもより早い。
山上の垂訓の丘では、アネモネが満開になっていた。
でも、ここはちょうど陰になっていて、まだ、あまり他のガイドは知らないらしい。あまりグループが来た形跡はない。
私は先のグループも、今週のグループも楽しめたけど...........。秘密の花園みたい。お花を踏まないように、みんなで写真を撮った。
来週もツアーで来る。お花を見たいといっていたので、その頃までもっていてくれればよいなー。
 
今日は大雨。エルサレムは4度。ガリラヤでも10度前後。珍しく寒い。
 

1月下旬
 
今、弱い方々の特別企画のツアー中
車椅子の方、弱視の方、足腰が弱いなど色々、高齢者や弱さを持った方々が集まって13名になった。
上り坂や階段を避けて、のんびり、ゆっくり。
 
いつもならそっけないイスラエル人が「コーラカボード」(よくやった!)と声をかけてくれるし、色々配慮してくれる。
弱者にはやさしい民族だということは、このあたりでわかる。
 
死海写本館では、イスラエル兵も一緒だった。あっという間に、車椅子を持ち上げて、階段の上に連れて行ってくれた。「すごいわね」ともらす我がグループの主婦たち。「まあ、彼らはいつも担架で人を運ぶ訓練していますから、こんなの軽いのでしょう.......」
至る所で、「にこり」ともしない親切な人々の愛を感じながら廻る。これもイスラエル。
 
神様、イエス様、あなたを愛してここまで、こんなに遠くまでやってきました。
どうか彼らに、たくさんの、たくさんの祝福を天から注いでください。
 
.................そう毎日祈りながら廻っている。

2010年1月
 
新年が明けた。静かに明けた。めでたい!
去年の今頃は、ガザ地区でドンパチしていたから。
 
今の静けさは、嵐の前だとだれもが噂している。
いつも、この静かな時に、ガザ地区には大量の武器が密輸されている。イスラエルはそれも分かっているが、取りあえずじっとしている。幾分かは海上や、エジプトで摘発されているが、隙間から入っているのは確実。案の定、先週、ガザからパレスチナ武装テロリストによる砲撃があって、イスラエル空軍が応戦した。
 
新年早々、あまり良くない状況だが、新年のグループと廻った観光地は、どこも平和そのもの。
イスラエルの子供たちも普段と変わらぬ、というか、普段のように、どこでも大騒ぎをしていた。
今回、学生ツアーという事で、二か所ほどはユースホステルを利用した。
そこは、子供達の修学旅行や、ユダヤ人の成人式があったり、新婚親族の「結婚式後の初シャバットご一同様」などのグループと一緒で、思いっきりイスラエリーの世界だった。(結婚式の後の初安息日=シャバットは、両家で晩餐をするしきたりがある)
 
イスラエルの国際ユースホステルは非常に綺麗でさながらホテルのよう。何か所かはUNESCOの世界平和遺産にまで登録されていた。へー、ユースホステルが世界遺産???こんなの初めてみた。
 
この静けさが永遠に続いてほしいと、誰もが願いつつ今を生きている。
これを守るために、多くの兵士たちが、昼夜警備にあたっている。
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